【観光スポット】台北・林森南路から林森北路沿いの気になる景色
今回は中正紀念堂の始点である林森南路から北上して、林森北路を歩いて気になる景色を紹介していきたいと思います。約2㎞の距離になります。
撮影スポットのルート
中正紀念堂→曹洞宗大本山台北別院鐘楼→台北希望広場農民市集→中山基督長老教会→林森公園、明石元次郎総督元墓
まずは中正紀念堂からです。ちょうど國家音樂廳方向側から林森南路の道路から北上して歩いていきたいと思います。

曹洞宗大本山臺灣別院鐘樓
仁愛路一段を通り過ぎ少しすると右側に、屋根瓦の城門のような建造物があります。「曹洞宗大本山臺灣別院鐘樓」です。

曹洞宗の別院として、1910年に木造の本堂が完成し、台湾での布教の場となりました。1935年に私立臺北中學となり、戦後泰北中學となったようです。本堂は撤去されましたが、「鐘樓」は1997年に市定古蹟となっています。

撮影スポット:曹洞宗大本山臺灣別院鐘樓
住所:台北市中正區林森南路85號
地図:
台北希望広場農民市集
MRT善導寺駅を通り過ぎ、市民大道の手前右側に大きなイチゴとパイナップルのオブジェがあります。こちらは、ファーマーズマーケットです。ちょうどこの付近に、昔、駅がありました。日本統治時代には樺山駅、戦後には華山駅という駅でした。現在は、華山公園となっています。


撮影スポット:台北希望廣場農民市集
住所:台北市中正區林森北路北平東路
ホームページ:http://www.ehope.org.tw/
地図:
中山基督長老教会
長安東路一段と森林北路の交差点には、「中山基督長老教会」というキリスト教教会があります。日本統治時代の1937年に建設された歴史的建造物です。

3階建てとなっている時計台の部分の一番上にある十字架がこの建物自体がキリスト教関連の建物であることがわかります。時計台部分の壁と屋根の白と2階部分の屋根の焦げ茶色のコンストラストが人の目を惹きます。

撮影スポット:中山基督長老教会
住所:台北市中山區林森北路62號
地図:
林森公園、明石元次郎台湾総督元墓
最後に、林森北路でも賑やかなエリアにある林森公園です。林森北路を挟んで林森公園と康樂公園があります。林森公園は、休みの日には親子連れの人がいます。木々がいっぱいの公園です。

この公園内には、2つの大小の鳥居があります。実はこの場所は、日本統治時代には、日本人共同墓地でした。この場所には、乃木大将(乃木希典)の母や元台湾総督の明石元次郎が眠っていました。

大きい鳥居の方は、明石元次郎に付属する形で建てられたようです。

鳥居を細かく見ていくと、「昭和十年十月 有志建之」と刻まれています。

撮影スポット:林森公園、明石元次郎元墓
住所:台北市中山區南京東路一段88號
明石元次郎詳細記事:https://oitaiwan.jp/post-2269/
地図:
林森北路沿いは、多くの日本人が行ったことがあるところだと思いますが、色々なスポットがありますので、その他のスポットを探してみてはどうでしょうか?
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[…] 最後に大きな鳥居に付いていた明石元次郎を紹介したいと思います。 明石元二郎とは? 元治元年(1864)~大正8年(1919) 福岡藩士の子供として生まれる。 大正7年(1918年)に台湾総督に就任(在任期間は、1年3か月) 着任直後の総督府高官への訓示は「台湾の産業、貿易が振るえば繫栄する。内地人、本当人(台湾人)を協和させ、文物を興旺にし、母国と人心を一致させることが統治の主要目的だ。言語風俗の違いから来る障害を取り除き、結合融和させよう」と統治の理念を知ることができる。 在任していた期間は、産業の発展の基礎建設が求められていた時であり、日月潭水力発電所、水利システム、嘉南大圳の建設を命じた。また司法制度の改革、教育面では、台湾教育令を発し、台湾の教育の基礎を確立した。 台湾の基礎を作った明石元二郎であるが、在任期間はわずか1年3か月と短い。大正8年(1919)、内地に向かった際、福岡の地で亡くなっている。亡くなった遺体は、台湾に運ばれている。なぜか?それは、明石が内地に向かう前に遺言として、「もし自分の身に万一のことがあったら、必ず台湾に葬るように」「余は死して護国の鬼となり、台民の鎮護たらざるべからず」として残していたためです。そして、台北で葬儀が行われた後、三板橋墓地(現在の林森公園)に葬られた。 台湾総督は、19人が着任した。この19人のなかで、今も台湾の地に眠る元総督は、「明石元二郎」ただ一人である。 林森北路付近は、よく日本人が行く場所でもありますので、一度、立ち寄ってみてください。林森北路付近の見どころスポットはこちらです。https://oitaiwan-pic.com/post-745/ […]